はて教育は

教育というものについて考えさせられることが最近多い。
特に、いわゆる情報社会という時代に入って、
リテラシー教育の必要性というのが声高に叫ばれているが、
まずその前に、日本は国語教育が遅れているんじゃないか。
これは、教育に携わるもの全員の責任である。
教育委員会、教師、保護者、地域。全ての責任である。
塾講師や家庭教師をやっていて、本当に日本の国語教育のお粗末さを感じる。
もちろん、一部進学校や私立中高などは優れた教育を行っている場合もあるし、
国語という一科目だけに限ったことではない。
「国語なんて答え一つなわけないじゃん」みたいな寝言を叩く生徒もいるが、
完全に教育のせいだね。
特に、義務教育で教える国語なんてのは、皆で同じ文を音読して、
場合によっては、意味があるのか怪しい暗誦をして、
先生が要点をまとめて、大事なところにチェックさせて、
はい、丸暗記でテスト勉強してください。ほんと残念。
論理展開、文章構造っていうのをしっかり教えないなら、まるで意味がない。
ただその場その場で、丸暗記した情報を紙に書いて終わり。
それじゃあ、リテラシーなんて高まらないね。
あと、若者の読書嫌いが顕著に進んでいる、なんていう教育者もいる。
これは、教育現場での過ちだろう。
読書感想文。これが過ち。
長期休みとかに、好きな本一冊読んできて、感想を書いてくるわけだけど、
文章の書き方も教わったことがない、極論を言えば正しい読み方さえ知らないかもしれないのに、
感想を書いてこい、っていっても、そりゃ書けないわ。
〜〜が面白かった。〜〜がかっこよかった。で終わる。
ましてや、こんな形で強制してたら、そりゃ嫌いになる。
要は、教師視点で言えば、読書離れが進んでいるから、
そうならないように一冊読んでもらおう、と。
で、本当に読んだかどうか分からないから、感想書け、と。身勝手だね。
本は読めば良いだけなのか?違うだろう。
本質を何も分かっていない教育だ。
あれこれ書いてしまったけれど、まずは立派な国語教育が大事だと思う。
小学校で英語教育を、とかギャグなのか?


個性なんていうのも気になる。
個性が大事だなんて言うけれど、愚かであることが個性なのか?
行列が出来ているのに平気で割り込む、
あるいは、平気でポイ捨てをする。そういうのも個性でいいのか?
じゃあ教育なんていらないじゃんか。
教師は、あんまり臆病にならずに真正面から教育に、子供たちに向かって欲しいし、
それを許す環境作りに教育委員会、親、地域、社会全体が頑張らないといけないんじゃないか。
一部の親が理不尽な文句を言うなら、もう放っておけばいいんじゃないかとさえ思う。
苛烈な意見があるなら、自分の理想が叶う学校に行ったらいい。
最悪学校になんて行かなくなって、死にはしないんだから、そうしたらいい。
歴史的に見ても、権利は義務を果たした上に成り立つものだ。
義務を果たさない権利主張なんてガンガン却下してやればいい。
教育者の方々には本当に頑張って欲しいし、応援したい。